1846年 熊本の人吉から江戸まで45泊46日

日にち 行程 日にち 行程
3/23 人吉→一勝地(球磨川下り) 4/17 片嶋→加古川
3/24 一勝地(雨のため滞在) 4/18 加古川→大蔵谷(家来に風邪が流行ったため、西宮までゆっくりのペースに変更)
3/25 一勝地 4/19 大蔵谷→兵庫
3/26 一勝地 4/20 兵庫→西宮
3/27 一勝地 4/21 西宮→郡山
3/28 一勝地→萩原(球磨川下り) 4/22 郡山→伏見(京で通行手形の交付)
3/29 萩原→(響野原参詣)→川尻 4/23 伏見→石部
3/30 川尻→山鹿(熊本で朝鮮飴をもらう) 4/24 石部→関
4/1 山鹿→羽犬塚 4/25 関→桑名(饅頭、蛤、酒の差し入れ)
4/2 羽犬塚→内野 4/26 桑名→→宮(名古屋)
4/3 内野→木屋瀬 4/27 宮→岡崎
4/4 木屋瀬→小倉 4/28 岡崎→吉田
4/5 小倉→吉田(関門海峡を渡る) 4/29 吉田(うなぎの差し入れ)舞阪(関所)→浜松
4/6 吉田→小郡 5/1 浜松→袋井 大井川川止めの情報
4/7 小郡→福川 5/2 袋井→金屋(金谷)
4/8 福川→高森 5/3 金屋(大井川の川止めのため滞在)(鯛の差し入れ)
4/9 高森→久波(錦帯橋見物)家来数名が厳島参詣したいと申し出る 5/4 金谷→府中(静岡)(野菜の差し入れ)
4/10 久波→広島(海田)雨のため、厳島参詣は中止。 5/5 府中→吉原
4/11 海田→本郷 5/6 吉原→箱根 飛脚で江戸に手紙
4/12 本郷→今津 5/7 箱根(タバコ盆を購入)→大磯
4/13 今津→七日市 5/8 大磯→程ヶ屋(保土谷)
4/14 七日市→板倉 5/9 保土谷→江戸屋敷
4/15 板倉→片上
4/16 片上→片嶋

「1846年 熊本の人吉から江戸まで45泊46日」への4件のフィードバック

  1. おはよございます。
    お父さまのサイトも拝見してきましたが
    たまに時代小説読むくらいで歴史詳しくはないんですけど
    淡々とした感じの記録だけど、逆に浮かび上がってくる感じがして「へ~」ってなっちゃいました。

    今、人吉から東京まで歩くって思うと「うわ~」ですけど
    45泊っていうだけでもスゴイですけど
    当時はまぁこんなものだから、って業務として普通の感じでこなしているみたいで
    おもしろいですね。
    厳島参詣が雨で中止って「あー残念だったねぇ」って思わず家来数名に感情移入しちゃいました。

    返信
  2. 参勤交代
    三五子さん、コメントありがとうございます。

    私も歴史に詳しいわけじゃないので、意味がよく分からないところもありますが、読んでるとなかなか面白いんです。この人吉藩相良家は大大名じゃないので、多分大名行列も小ぢんまりしてたんじゃないかと思われます。
    で、この日記自体、お殿様のものらしく、事務的ではあるものの、事細かに書いてあるんです。
    地理好きなので、現代地図と見比べながら、彼らの旅程を追ってます。「この道通ったのね~」とか思いながら見ると楽しいです。
    今では過疎化してるところが、昔の街道宿場だったりして、いろんな発見があります。

    >家来数名に感情移入

    するでしょ?ねっ(笑)
    めったにないチャンスだから、安芸の宮島詣でするぞ!って、せっかくお殿様の許可も頂いたのに、雨で中止、真面目にお仕事するしかなくなって、残念。

    途中の「お供に風邪のもの多し。旅程を緩やかにする」なんていうのも、アットホームな感じでいいですよね。お殿様はずっと元気みたい。
    ここにはまだ書いてませんが、途中でどんどん家来が病気で離脱していくのです。
    やっぱり旅の疲れが出るんでしょうね。
    詳しく書いたものを今準備してますので、またできたらアップします。

    返信
  3. 淡々と
    私の旅路はただ今24500泊と24501日です 毎日のことを一行でも書き残していたら
    どんなものが出来たでしょうか お父様の趣味というか研究面白そうですね とは言ってもコツコツは苦手で真似できません 面白そうなところを 又教えてください

    返信
  4. ゴジダツジさま
    24500日!!
    日にちにしてみると、ものすごい量に感じますね。
    ほんとに1行でも書いてたらすごいでしょうね。
    私も日記などは三日坊主で全然だめです。
    このブログはなんとか続けていますが・・。

    参勤交代道中記、いろいろ面白いところもあるので、またここに書きたいと思います。
    おたのしみに~。

    返信

コメントする

CAPTCHA