航空写真で追う旧三菱重工熊航宿舎跡地

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前回の投稿で、健軍の旧三菱重工熊本航空機工場の宿舎街のことを書きましたが、跡地の土地利用の変遷を航空写真で見ていきたいと思います。
戦時中の建物の様子。
戦後の航空写真(1947年~1975年)
1947年
工場内の建物と、健軍寮1~4、秋津寮1が焼けて礎石だけになっているのがわかります。当時焼け残った寮は、引揚者の収容施設として使われていたということです。
1956年
2,3,4寮の跡地に整然と戸建て住宅が建っています。
それに対して、健軍1寮と秋津1寮のあとは割とごちゃごちゃとしています。
戸建て宿舎のエリアの「火避け地」はまだそのまま空き地のようです。
1962年
1969年
焼け残っていた3つの寮のあとに鉄筋コンクリートの団地がたちました。
(今も使われています)
1975年

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この記事を書いた人

コメント

コメント一覧 (2件)

  • Unknown
    戦時中ここで学徒動員された若者たちの教育をする教員として働いていた父が生きていれば、懐かしくて食いつくほど見入ったに違いありません(^_^.)

  • Unknown
    FUSAさまコメントありがとうございます。
    お父様はたしか青年学校の先生だったのですよね。
    青年学校は上の配置図には載っていますが、1947年お写真では焼け野原ですね。敷地の半分は民間に払い下げ、半分は自衛隊病院になっているようです。お話伺ってみたかったです。

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